50代、サバイバルが始まっています
あなたは「50代は人生の底」という言葉を聞いた事がありますか? 若い時に比べて悩みが多く、そして深くなる事が多くなることで、50代は「人生の底」のよう感じる世代なのだそうです。私も50代になり大きな壁にぶつかりました。
このブログでは50代が抱えている構造的な問題と、コロナ禍という現代において50代を取り巻く仕事環境がどのように変化してきているのかを探っていきたいと思います。
まず50代に起こる環境の変化をざっくりと確認していきましょう。
・「定年」を控え仕事人生が終焉に近づく
・着実に体力が衰え始めてくる
・人生を生き抜くエネルギーが不足してくる
・老後の心配が心の底にずっと渦巻く
・まだ子供たちの教育費がかかる事が心配
・親の介護が本格化してくる
・家のローンがまだまだ残っている
・夫婦の会話が減ってくる
・子供たちの自立に課題を抱えて心配する
数え上げるとキリがないほど、どんどん出てきます。それほど50代という年代は大きな悩みや問題を抱えている年代だという事だと思います。でも考えてみれば当たり前なんです。それは人生100年時代と言われて久しいですが、50代はちょうど中間に位置する年代だからです。社会を支えるという意味で構造的に大きな責任が伴う年代だからとも言えるでしょう。
ただ確かに悩みや問題は多いですが、これだけでは「人生の底」とまでは言えないのではないでしょうか。では何故「人生の底」とまで言われる年代なのでしょうか?
これは私の仮説ですが、人生において大きなウェイトを占めていた「仕事」という重要事項と自分の人生との関係性に変化が起こることが関係していると思うのです。つまり、人生全般で大きな悩みや問題を抱えているにも関わらず、仕事や職場においては様々な状況の変化が発生しており、自身が抱える責任の重さに対して、それを支えていた経済的基盤であったり、自分自身を信頼する力が揺らいでくるという年代だからだと言えるのではないでしょうか。
具体的に確認していきましょう。
・遥か先の事と思っていた定年が数年後に迫っている
・職場における出世競争も既に決着してしまい、もはや希望が無い
・どうやら年金は支給開始時期も金額も雲行きがあやしいらしい
・業務は管理が主体となり、実際の業務は全て部下が行っている
・愚痴を言い合える仲間なんて、とうの昔に職場には存在しない
・このままのポジションで定年を迎えられるのか自信が無い
・定年後の足りない生活費を、何をして補填すれば良いのか全くノープラン
・いつリストラを言い渡されるのか怯えている
・いっそのこと早期退職制度を利用して自ら退職した方が得なのではないか?
等々、あまりにも心許なくなる状況が発生しているのではないでしょうか?バリバリと仕事をしてきた、自分の仕事に対して自信や誇りをもって取り組んできた、そうした人こそ悩みが大きくなっているように感じます。
かく言う私も同じような状況を抱えておりました。実は深刻な「モチベーション・クライシス」に苛まれていたのです。
・会社での出世競争に意味を見出せない
・仕事の忙しい自分の事を家族は理解してくれていない
・信頼していた部下と突然意思疎通が取れなくなる
・職場でのトラブルが頻発して心が休まる暇がない
・子供が大きくなるにつれて成長についての悩みが出てくる
等々、数え上げたらきりがないほど悩みがどんどん生まれてくる状況でした。こういう時、本来であれば「さぁ乗り越えるぞ!」という気持ちが大切だと思いますが、これが全然出てこないのです。むしろこんな風に感じていました。
・もう俺の人生は終わりだ、、、
・しょせん俺はこんな人間なんだ、、、
・誰も自分の事を理解してくれない、、、
・どれだけ頑張ってきたのかわかっているのか!?、、、
・はぁ~もう仕事を辞めたい、、、
本当に仕事を辞めようとさえ思っていました。。
そんな時に私が出会ったのが次の言葉です。
・・・50代はサバイバル・・・
サバイバルという意味は「困難な状況、生命の危機から、何とかして生き残ること」ということだと思います。そうなのか!「50代はサバイバル」なんだ!と気が付くことができました。
そして「サバイバル」というと「他者との競争」や「外部環境との闘い」という事を連想すると思います。私もそうでした。ただ今の私はむしろ「サバイバル」というのは自身の「モチベーション・クライシス」という生存本能が急激に低下してしまうという意味での「生き残り」つまり「サバイバル」が始まる年代なんだと感じています。
先達が言われた「50代は人生の底」という言葉と、「50代はサバイバル」という二つの言葉を考えた時、これは大変な年代になってしまったな。。。という思いに駆られたのでした。
次の章では50代を取り巻く具体的な環境について確認してみましょう。